負ける経験の必要性

円卓ディスカッション 2016.03.23

負ける経験の必要性

競って負けるという経験が必要。現代では多くのゲーム玩具が勝つ喜びを提供しているが、昔の子供同士の遊びは勝ったり負けたりしていた。そこで、勝ったり負けたりしても仲良くするという術を学んでいたようです。

実際に円卓ディスカッションの中でゲームをやってみた。運が介入しないタイプのもので、負けたことを運のせいにはできない。負けたときに、いろいろな自動思考・感情が沸き起こって面白い。

先人曰く、「初心者は負ける、中級者は勝つ、上級者には勝ち負けは関係ない」

いろんな自分が心の闇(シャドウ)を通り抜けるカギ

上野貢潤の心理セラピー現場で稀に、自分自身の中にも内省では見えていない部分(シャドウに関わる)があるかもしれないということを認めることが難しいケースに出くわす。この難しさはセラピーに限らず、いろいろなところで表れている。組織学習ではダブルループからトリプルループへ飛躍することに相当する。ダブルループの内省が、気づいていない何かに気づくことであるのに対して、これは気づけないことがあるということを認めるという別次元のコツが必要になる。心理セラピーではその能力をクライアントから引き出すことが前提となる。

かねてより池田練悟が提唱している「いろんな自分を増やそう」ということが、その鍵ではないかと上野は思っている。「もしかしたらそうかもしれない」よりもう一歩踏み込んで、「そうなんだ」と思ってみる。これをやるためには「いろんな自分」になったり戻ったりすることを可とすることが役立つ。いわゆる「なりきる」ということ。それを演劇では「役作り」と言うらしい。

「役作り」の技術は、社会生活の精神安定をもたらしたり、深層心理の変容プロセスを可能にしたいりして、本当の自分を生きるために役立てることができる。

遊びとは何か?

円卓ディスカッション 2016.02.10

人間関係とゲーム理論

ゲーム理論というと、論理の塊かと思いきや、意外と人間関係における不条理や感情が浮かび上がる。「もし人々が利己的かつ合理的に判断したらどうなるか」を問うことで、いかに人間が利己的になれないか、合理的ではないかがわかります。

協力した方がお互いに得なのに協力できない状態、人を恨みたくなるのはなぜか、といった感情の交流についてもよくわかります。

遊びとは何か?

遊びの反対は定め?

”余分”のことを「あそび」という。その余分は自由である。
余っていない部分(不自由な部分)があるからこそ、余分は「あそび」と呼ばれる。

遊びの反対はゆうゆつ?

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遊びとは倒れない状態?

創造+破壊=遊び

それとも、
右に倒れず、左に倒れず、その間で揺れているのが”遊び”。
システム工学の逆フィードバック制御に似ている。

自己責任論

「全体責任は無責任」とも言われるが、おそらくそれは対外的なこと。共同体の中では責任は共有される。

(例)自己紹介で話が長すぎてしまう人だけでなく、それを止めなかった人にも”責任”はある。

祈るとき、人はなにしてるの?

祈りとはIメッセージ。アサーティブであるということ。
固執せず、手放さず。
願いであり、想像である。
バランスをよくするもの。

その他のトピック

  • 「衆生所遊楽」
  • コントロールしやすい(嘘つきやすい)身体の部位